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星を掴めるのか推察中の田舎者の記。 通りすがりの拍手の方、どうもありがとう ございます。
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本日2つめの記事です。
最近ようやっと暇が出てきましてその所為か1日2つとか普通に書いてます。
閲覧者の方々は1日2つとか更新されると、
読むのは大変なのでしょうか。
その辺ちょと気になります。
ちなみにあっしは2つだろうが3つだろうが読める部類の人間です。

さてひとつ前の記事の最後部分の続きからですね。
こないだの日曜の『新日曜美術館』(NHK)を拝見しての感想です。
そもそも20日に前フリ文章を投稿してますのでざっくり説明しますと、
「越後妻有アートトリエンナーレ」という国際美術展が、
お隣・新潟県で開催中でして、
その特集を組んでいることを朝ラテ欄で発見したあっしは、
「うおー見るー!」とビデオに録画したのでした。
で、昨日今日と見る時間に恵まれ拝見したわけです。
その感想が以下に続くわけでございなす。

えーとものすごくいろいろ思って何処から手を付けたら良いやらなんですが、
最初の辺りで司会の壇ふみさんだと思ったんですが、
「現代美術は都市のものだと思ってました」
というようなことを仰っていて、
ああ、そういやあっしもそうだと思ったなあ、と思いました。
そもそもあっしが現代美術てものを意識して知ったのは、
その昔BS2でやってた『ウィークエンドジョイ』て番組で、
だいたい現代美術の展覧会は大都市圏でやってるんだなあ、
との認識を持ったのです。
その後美術展に何度か足を運びましたが、
殆どが関東で学生をやってた頃だったわけで、
あっしの中でも「現代美術=大都市圏」てなイメージが出来てたんだと思います。
だけどこのトリエンナーレの会場は、
テレビを見ていると農村風景が広がっているような場所で、
だけどそこにはきちんと美術作品が、
息づいてたわけです。

農村てのは今自分が住んでいるから実感としてあるんですけども、
現代美術なんて、
欠片も無いような場所なのです。
ただ素朴に存在するような。
だけど今現在、
越後妻有トリエンナーレは開催されていて、
農村にさまざまなアートが存在しているのです。

それってばすごい。

例えば大きな照明に星型にくり抜いた型を設置して、
森の上にクレーンで吊るすと、
「星型の木漏れ陽」なんてのが出来る。
例えば空家の床や柱をノミで削っていって、
家を「脱皮」させる。
そんな作品が実際今展示されてるのです。
美術って、
絵を描くなら紙と絵の具、
彫刻なら石膏とか木とか、
そんなものを必要とするのだと思っていたんですが、
そうじゃなくて、
メッセージを伝えられるならあらゆるものが材料になるんだ、と、
そんなことを強く思ったのでした。

そんでもひとつ強く思ったことが、
「作品の持つ言葉」でした。
国際展なので外国のアーティストさんの作品もあるんですが、
番組の中で女性のアーティストさんが、
「言葉が判らなくても通じる」というようなことを仰いまして。
あっしは一度Leaderさんに、
「写真や絵はその色彩が視覚を刺激するし、
 音楽は聴覚を刺激するけれど、
 文章が最初に刺激する五感は果たして何か?」

というような問いを投げかけたことがありました。
文章って読み聞かせるとしたら聴覚が最初なんだろうけれど、
黙読する分には視覚、
だけどその黙読も視覚に作用するんだけど、
文字ひとつの形では理解出来ないわけで、
そうなるとどうなんだ?てことをふと思ったんです、テスト期間中だかに。
何か考えすぎて頭の回路が面白いところで繋がったんだと、
今だと思うんですが当時は本気でした。

で、「作品の持つ言葉」なんですが。
世界中には言語がたくさんあって、
この女性アーティストさんも外国の方なわけですが、
作品を作るために取材をしたそうなのです。
これをもし文章にして表すのならば、
それぞれの使用言語で理解できるように様々に翻訳されるのでしょうが、
美術は視覚に直接作用されるわけじゃないですか。
その人の中でどんな言葉になるかは、
その人にゆだねられてるわけですが、
でも何かの言葉を伝える装置として作品を作っているんだなあ、
なんてなことを思ったのです。

ちなみにその方の作品は、
空家の中にブランコが作ってあるんですが、
それを見て「そういや昔うちの中にもブランコがあったなあ。」
てことをあっしは思い出してました。

おお、すごい。
何か本気で書くと長いですね。
も少し続きます。

あとこのトリエンナーレで面白いのは、
地元の人たちが製作現場を見に来たり実際制作を手伝ったりしてることだと思います。
美術って難しそうで、
てか実際今でも「難しいんだろうな、才能いるんだろうな」
なんてなことを思ってるんですが、
でも参加してるんですよね、地元の方たちも。
だからきっと難解に思うのは、
こっちが先に構えてしまっちゃうからなのでは無いかなー、と感じました。
去年の横浜トリエンナーレの、
堀尾貞治さんの参加型アートの時も似たようなことを思ってた気がします。

てかこの番組を見てから、
「こういうの山形でもやりゃ良いのにー!」と思っちゃってもう。
それとも何か、
山形は「ドキュメンタリー映画祭」があるから良いのか。
でもやっぱり近場の方が見に行きやすいと思うんだ!
ちなみに越後妻有アートトリエンナーレは、
来月10日まで開催しておりますそうですよ連れてってー!!

てなわけでラストはいつも通りのテンションで締め。

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無題
私もその番組観ましたー。
印象的だったもののひとつは、
廃校になった学校で行われているインスタレーションで、たくさん並べられた透明ケースの中に蛍光灯が入っており、ケースのまわりには布、というのがあった気がしますが、それを観た地元の人の言葉です。
雪はこんなにキレイなもんじゃない、みたいな。
生のエピソード付きで。
それはそこに生きている人間にしか語れない言葉で、
作品の方が浮いて観えました。
ざっくばらんに言ってしまえば、無力にも観えました。失礼ですが。
まぁ、あくまで個人的な感想ですが。

あぁー、私も行ってみたいです。
他力本願に誰か連れてってー、と叫びたい。

しかし家の中にブランコって、リアルに感じられる紫流さんが観たらもっと味わいつくせるんでしょうね。
私もせめて番組録画すればよかったですー。
さよ 2006/08/25(Fri)23:33:09 編集
越後妻有行きたい!
>さよさん
おはようございます、コメント有難うございます!
しかも『新日曜美術館』の話に!
長々と書いて良かったなあ、などと(笑)思います。

廃校の、光と布で作られたインスタレーションへの地元の方たちの言葉は、
本当に実感がこもっているものだとワタクシも見ていて思いました。
今の東北でも雪には閉口することが多いので、
それ以上の豪雪地だろうあの場所では、
確かにいろんなことを思わせてしまうのだろうな、と。
でもやっぱり人によってはまた別の感想を持つんだろうなあ、
もしかしたら雪で何処にも行けず寄り添う家族、のような印象を受ける人も、
いるんだろうなあ、というようなことも思いました。

ともあれ、ホントに行ってみたいですねえ。
なかなか見ようとして見られるものでもないので、
行きたい気分だけは常に沢山です。

ブランコはあんな感じではなくて、
乗る部分が箱型だったんですけども普通にあったんだよなあ、とすんなり思い出しました。
作者さんのテーマが「記憶」だったので、
「おおお何かぴったりー!!」と吃驚することしきり。
なのでホント直接見てみたいです。
紫流忍 2006/08/26(Sat)07:49:34 編集
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HN:
シリュウ シノブ
性別:
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足軽(にわか)。
趣味:
読書。音楽(聴くのみ)。等々。
自己紹介:
プロフィール画像は、
かつてのブログペットのけーわくさん。
記念にとっといた回。
しかし台詞はなんじゃこりゃー

どっかにハマるとしばらくそればかり、
ただし若干年相応ではない。
が、本人至って気にせず,
欣ちゃん言うところの
「はじめて聴いた時が新曲!」理論で
マイペースにやっております。
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